僕は、、小学4年の時、アレルギー鼻炎がひどく。鼻が詰まって苦しかった。
当時の教室は、今と違って緊張感があって、みんな姿勢を正して、
先生の言うことを聞くっていう雰囲気だった。
ちり紙(てっしゅ)で鼻をかもうものなら、みんなからウルセーとか、
キタネェーって言われるた。 こっそり、ちり紙で、鼻を拭いたりしていたが、
やはり、思いっきり、鼻をかみたい、ていうことで、保健室に行くようになった。
それからは、ほぼ毎日、
毎日保健室に登校していた。
その頃、毎日保健室に登校する人がいなくて、
恥ずかしく、不安な日々を送っていた。
保健の先生は、若くて、親切だったけど、
僕のこと手に負えなくなったみたいで(半分ノイローゼになっちゃった)、
ある日、担任の先生と保健の先生が、僕の自宅にいらっしゃいました。
親と竹岡養護学校 の話をするために。
親は、「先生が言うなら、養護学校でもどこでもやらせますよ。」
位のことを言っていた。
父親に、「なぁ、孝宣(たかのぶ)来月から、竹岡に行くか?」
僕、何言ってるか分からないまま、うんと言ってしまったらしい
(父親が怖く怒られていると勘違いして、返事をしたみたい。)。
隣で、祖母が思いっきり泣いていて、何かヤバイなぁって思った。
こうして、養護学校に入学した杉浦君は、朝6時半に起床し、体操、散歩、朝食、
11時くらいから、学年別に分かれ勉強、一クラス10名前後で、担任の狩野先生は、
わからないところを丁寧に教えてくれた。
先生は、小4の僕らに自信をつけさせるために、
「四捨五入って新しいところは、みんなで交代で、
先生になって、丸をつけたり、教えたりしなよ。」。。。。。。て事になり、
みんな嫌がっていたけど、僕は、なんか先生って威張れるから、
悪い気がしなかった。 だから、まじめに教えようと思い、
先生になる前に、狩野先生に四捨五入の所を予習して教えてもらった。
上手く先生として、四捨五入を教えることが出来たのと、
みんなに○をつけるのが楽しかった。
特に、間違ったところを×つけるのも快感だった。→イヤな奴ですよね。
養護学校には、半年足らずしか居なかったが、
規則正しい生活、早寝、早起き、
バランスの取れた食事などにより、アレルギー性鼻炎は、前よりひどくなくなり、
学習面では、狩野先生から、小学4年までの復習を指導してもらい、自信がついた。
ありがとう、狩野先生、竹岡養護学校のスタッフの皆さん!
小さい頃のつまずきは、
ちょっとした健康面、勉強、食事、生活リズム等のちょっとしたことから、おこる。
そういったことから勉強が出来なくなり、友達からバカにされたり、いじめられたりし、
学校が嫌になってしまう。 後から思うと、たったそれだけで、と思うが、
直面している子供にとっては、真剣そのものだ。
今こうして先生をやっている私の原点は、保健室登校と竹岡養護学校だった。
何かのキッカケで、教室に入れなくなる、学校が嫌になる、勉強が嫌いになり、
友達からバカにされるというのは、本人にとって本当に辛いことだ。
そのようなできない状態から、できるように導くのが先生だと思う。
かつて僕は、小学校4年生の時、体が弱く自信を無くしていた、
今は、曲がりなりにも先生をして”やればできる”ということを
皆さんにお伝えしたい。