高卒支援会コラム

日の出太陽の家

杉浦孝宣は一般社団法人 不登校引きこもり予防協会としても活動しております。
杉浦への講演依頼・不登校相談も承っております。


生徒、保護者の皆さん&不登校・高校中退(転編入学)・引きこもりでお悩みの方へ
NPO法人高卒支援会の杉浦孝宣です。おはようございます。
33年の不登校指導歴の中には10年間、引きこもった子が公務員、結婚もできました
① 規則正しい生活>②自信をつける>③自律>④社会に貢献できる
この手順で不登校・引きこもりは立ち直ります!

センター試験

センター試験を受けている子が数人います。一番、気にかかるのは一浪している、K君。 昨年、一生懸命、勉強していたので、結果出して欲しいです。彼は中学一年からズッと不登校、高校進学したものの、そこでも、ある事がキッカケで、不登校、引きこもりを経て、当会、通信制高校サポート校を卒業しました。「サクラ咲く」を期待しています

日の出太陽の家

「私の世話になっている方が西多摩郡日の出町で、知的障害者の施設をやっており、東京都内では第1号の施設です。昨年、文京区で地域の要望で、2件知的障害児のグループホームを立ち上げ、洗濯、炊事、掃除のアルバイトを募集しております。性別、年齢不問で時給はたしか850円だったと思います。杉浦さんの学び舎が水道橋や池袋なので、生徒さんの社会との接点にいかがかと思いました。西多摩地区に畑や山もありもちろん、そこでボランティアも体験できます。農園はインターネットで『東京地球農園』で検索してください。障害児の施設の母体は『日の出太陽の家』で検索してください。メールでは、伝えきれないことが多いので、ご都合の良いときに説明したいと思います」
というメールを銀行に勤めている、知人の誘いで、東京都奥多摩にある、日の出太陽の家を訪問しました
先ずはサマーランド近くの「東京地球農園」に



「知的障害者、ボランティアの方が、畑作作業をみんなでやって、終わった後はBBQをここでやります」と
「ここは随分、見晴らしの良いところですね」
それからは日の出太陽の家に向かいました
「創始者の中島さんは事業を成功させ、50歳で、何か人の役に立ちたいと、当時、東京都に知的障害者施設が無いことを知り、この地に作ったのだそうです。この施設ができる前は東京都で知的障害者というと、他にいってくれという、風潮があり、理解がなく、今のような福祉も充実していなかった時代です。当時、建設が決まると、猛然と反対運動がわき起こりました。30年前は知的障害者のいく末を思い、体が動かなくなった親が子どもの首を絞め、自分も死のうかというほど、全く理解がなかったのです。それでも、大学生のボランティアが来て、知的障害者と共に農作業、山の手入れをするようになると、少しずつ、住民の理解も進みました」
そうこうしているうちに着き






責任者、久保田さんに挨拶、
「ココ、寒いでしょ。今、暖房入れますから。メシ用意します、一緒に食べましょう」と。レトルトのカレーをご馳走に
知人から紹介を受け、
「33年前から、不登校・高校中退・引きこもりの支援をして、高校卒業の資格を取るサポートをしております。教室は水道橋がメインで、新宿、池袋も適宜、会場として、使えるように、企業からの支援があり、中学一年から二十歳前後の若者を社会に貢献できるように養成しています。年々、生活習慣がついていない子が多く、コチラのような施設が月から金まで空いているなら、安価な料金で貸して頂ければ、ありがたいですね」
「コチラの武家屋敷は土日は結構埋まっていますが、平日は空いています。また、ここから、徒歩5分のところは敷地1500坪、建坪、60坪の豪邸を寄付して頂きまして、未だ、使い道を決めておりません。メシ食ったら、一緒に行きますか!?」
大学生が土日を利用して、掃除をしています








久保田さんに帰り際、挨拶をしました。
「ココ、12月に寄付して頂いて、未だ、使い道を考えていません。杉浦さんのところで、使いますか?」
「費用が無料であれば、生活改善合宿等をやりたいと思います。今後ともよろしくお願いします!」とチョット、ドン引きされましたが(笑)、連絡先を交換しました。

やり残した事

日の出太陽の家を出て、車中、知人と会話していました
「日の出太陽の家の創始者にはシンパシーを感じました。先ほど会った、代表の方のような立派な後継者を育てられました。こうした、福祉や教育の課題は初代で何とかなる程、簡単な問題はないので、後継者を育てて、継続させる必要があると痛感しました。僕は自分で先頭を切ってやれば、後は勝手についてくるだろうと思っていました」
「そうそう、先生とはじめて、お会いしたときはブレーキのない、スポーツカーのように突っ走っていましたからね」
「ア、そうかもしれないね。昨年は親友の心筋梗塞などで、死を考える事があり、スタッフをもっと大事にしていかなくてはならないと思い始めました。それが、健康企業宣言とかにつながるわけです。僕はまだまだ、やり残したことがあるんです。後継者の育成、通信制高校サポート校の無償化。公立高校の転校制度、全国化などです」
「今日の久保田さんは創始者の中島さんが立ち上げたときから、ズッと、やってきた人で、知的障害者の笑顔を見るのをライフワークとしています。どこか、杉浦さんと共通点があるんじゃないかと思い、お引き合わせしました」
「未だ、どうなるかわかりませんが、良い出会いだと思います」

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